そんな横浜山手町の魅力を実際に暮らしてみて分かった事を中心にお伝えします。
furukawasは横浜の旧外国人居留地「山手町」の教会で結婚式を挙げました。
昔から横浜が好きでしたが、山手町は外から訪れたときには欧米の雰囲気を感じられそうな空気のある場所でした。
しかし実際に暮らしてみると、ここはいまだに「日本にいながら外国」。まさにそんな場所です。
そんな不思議な場所、横浜の山手町について、
・山手町の歴史
・山手町の1年の生活
・実際に暮らしてみて感じた山手町の魅力
についてお伝えします。
知りたい情報にひとっ飛び!⇒目次
「日本の中の外国」横浜外国人居留地の誕生 | 歴史
まずは歴史のおさらい。横浜の歴史は日本の近来の歴史そのものです。
ペリー来航により200年以上鎖国をしていた日本がついに開国。
一番最初に欧米に開港されたのが横浜です。
この山手町に住む外国人から「日本初の」ビールやレンガの製造が伝わりました。
山手町はその面影を今に残すところが多くあります。
【年表】
1853年 ペリーが浦賀に来航「黒船」
1854年 日米和親条約 200余年の鎖国を解禁。開国決定
1858年 日米修好通商条約 横浜の開港決定
1859年 横浜開港
1860年 外国人居留地(山下居留地)建設
〜現在の山下公園、中華街から関内の手前くらいまで
1862年 生麦事件
(薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件→現在の外人墓地に葬られる)
1862年 横浜天主堂(現在のカトリック山手教会)献堂
1863年 米国領事館の1室から合同教会がスタート
(後の横浜山手聖公会、横浜ユニオン教会、日本人による日本初のプロテスタント教会「横浜海岸教会」につながる)
1867年 山手居留地 誕生
1868年 横浜クリケットクラブ 誕生
(現在のYC&AC Yokohama Country & Athletic Club前身)
1869年 日本初の洋式公園「山手公園」開園
1870年 日本初の女子教育「フェリス女学院」創設
(築地居留地に設立された「女子学院」と同年)
1870年 各国領事団によって「外人墓地」管理委員会が結成。
1872年 日本初の外国人学校開校
(現在のサンモール・インターナショナル・スクール)
1872年「横浜海岸教会」誕生
(日本人による日本初のプロテスタント教会)
1878年 日本初のテニスクラブ創設
(現在の山手インターナショナルテニスコミュニティー)
このように山手町には次々と教会、学校、墓地、公園など欧米の外国人にとって必要なものが作られていきました。
当然「日本初」のものばかり。
これらの施設は現在でも山手町で機能しています。
ちなみに東京でも1869年に築地居留地が作られていますが、横浜の方が2年早いです。
日本初の洋風近代式公園とされる日比谷公園は1902年開園で、山手公園の方が30年ほど早いことになります。
施設だけでなく、文化の方も日本初が勢揃いです。ざっと挙げてみると・・・
1859年 クリーニング
1860年 パン、競馬、ホテル
1861年 新聞
1864年 理容
1865年 アイスクリーム
1870年 ビール
1872年 ガス灯、鉄道、野球試合
1876年 テニス
1877年 電話
現在の山手町ってこんなところ
こうしてざっと見ても「日本初」が多いのですが、驚くべき事は、
山手町には当時設立された組織や施設が存在していて現在でも人々の生活に根付いて機能していることです。
当時と同じように、現在横浜に住む外国人の多くはそれらを利用していますし、そこで働く外国の方も多いです。
外人墓地
写真(歩いて撮ってきます!しばしお待ちを)
横浜山手聖公会 Yamate Christ Church
横浜ユニオン教会 Yokohama Union Church
カトリック山手教会 Yamate Catholic Church (The Yokohama Sacred Heart Cathedral)
山手公園
テニスコート
フェリス女学院
写真(歩いて撮ってきます!しばしお待ちを)
サンモールインターナショナルスクール Saint Maur International School
↑Christmas Bazaar 2017で撮らせていただきました。
居留地を中心に街も広がっていきました。
外国人を相手に商売をしてきた日本人の商人の街「元町」。
日本人と漢字で筆談できるという事で欧米の商人についてきた中国人の街は 現在の「横浜中華街」になりました。
元町
横浜中華街の門(元町との境)
平日、子供はインターナショナルスクールへ行き、日曜日は教会。
週末や放課後にテニスやYC&ACでスポーツ。
買い物は坂を降りて元町で。
悲しい事ですが、永住している人、早くに亡くなってしまって家族も日本にいる人は外人墓地に埋葬される事もあります。
つまり明治の時代とあまり変わらない生活。
日本に住むことになった外国人が自国の生活スタイルを維持しやすい街といえます。
山手町の歳時記 | 1年はこんな感じ
そんな山手町の1年を見てみます。
9月始まりで6月が年度末なので、日本の1年とかなり違うところがあります。
1月 | 静かな1年の始まり
インターナショナルスクールが始まる1月第2週くらいまで閑古鳥状態。
坂道を降りた元町や中華街の賑やかな「新春」「賀正」の雰囲気とはだいぶ異なります。
ただ観光の名所でもある山手の各西洋館では新年にふさわしいディスプレイや呈茶なども行われています。
そして教会の街らしく1月6日までは「クリスマス」。
その日までは玄関にリースが飾られている家がけっこうあります。
2月 | バレンタインなのに静か
日本のバレンタインはほぼ無視。
やはり山手の各西洋館で少し装飾がなされているくらいです。
坂の下の元町のバレンタイン商戦とはだいぶ違う雰囲気です。
チョコレートを贈る姿もほとんど見ないですね。
3月 | レントから桜の季節へ
日本の2つのミッション系女子校は卒業式でお別れシーズン。
インターナショナルスクールの方は特に動きなし。
教会暦ではイースターの前のレント( Lent )の時期(十字架上のイエス様を思い、悔い改めと祈り、場合によっては断食する期間)でもあり全体的に静か。
落ち着いて過ごそうという印象です。
下旬になると桜の見頃となり観桜光客も増えてきます。
4月 | イースター
3月下旬から4月にかけてクリスマスと同じくらい大事なのがイースター Easterです。
年によって2週間ほどズレがありますが、このイースターでようやく「春が来た!」という感じです。
別れも伴う日本の春の感覚よりフレッシュな「やった!春が来た!Spring has come!」と喜びいっぱいな感じ。
年が開ければ新『春』と言い新しい季節の到来を早々に味わう日本の感覚より遅いと思います。
Easter Holiday となり、クリスマスと同じように祝い、カードも送ります。
子供たちは隠れた卵を探し当てるエッグハントを楽しみます。
【ここで欧米文化の解説】
欧米の文化にはキリスト教への理解なしに分からない事も多くあります。
イースターの時期に注意なのは、Good Friday。
Easterの日曜日の直前の金曜日をいいます。
Goodだから良い日?と思いきや、イエス様が処刑された事を思う日というとても神聖で重い雰囲気の日です。
その前日の木曜日はイエス様が弟子の足を洗ったという「洗足の木曜日」。
クリスマスが誕生を祝うという事で純粋におめでたい雰囲気で良さそうなのに対して、イースターは時代背景を知らずに「一緒にお祝いしよー!」という雰囲気で行くと恥をかく事になるかもしれません・・・
5月 | 新緑がきれいです!
山手町の新緑が美しい季節です。
日本ではゴールデンウィークがありますが、インターナショナルスクールは通常通り。
彼らの夏休みは相当長いので、あまり気の毒には思えません・・・
6月 | 別れのシーズン
インターナショナルスクールでは卒業式。
別れのシーズンです。
高校卒業の子ども達はアメリカやイギリスの大学に行く事が多いです。
Gap Yearと行って大学進学の前にあえて1年休みを取り、インターンシップやボランティア、世界を旅する子もいます。
子ども達は未来があってキラキラ。
「また世界のどこかで会おう」という感じですが、大人はそうは行きません。
「次いつ会えるのかな」再会を願って涙ながらのお別れです。
7月 | 夏休み
Summer Holiday Season 長い長い夏休み。
明らかに人口が減ります。
ただしChristmas Holiday seasonほどではないような気がします。
親戚などが遊びに来ていて、普段はあまり見ない欧米の外国人観光客も見かけたりします。
8月 | ようこそ日本へ
9月の新年度に備えて引っ越して来る家族が多い時期です。
まだ地理感がないからか、ウロウロしている家族連れを良く見かけたりします。
スーパーの元町ユニオンなどでは外国の小さな子が興奮のあまり商品をつかみとらんばかりにもの珍しく見たり、走ったり。
対照的にお母さんは慎重に食品を観察しています。
9月 | 新年度スタート
新年度のスタート。
山手町全体がピリッとした雰囲気です。
職場に向かうお父さんたちはピシっとしているし、子供たちはちょっと不安そう。
お父さんが仕事をしている間に慣れない場所で子供たちを育てて行かなければならないお母さんたち。
新しい環境に溶け込む事、暮らし便利情報を仕入れる事に一生懸命です。
爽やかに見える笑顔作りに余念がない感じもします(失礼!)。
学校や教会などあちこちで自己紹介がなされる季節です。
10月 | 落ち着いてくる頃
新学期がスタートして子供達も落ち着いてくる頃。
キョロキョロしながら通りを歩いている外国人の家族連れも見かけなくなります。
仲良くなったお母さんたちのランチ会やお出かけもよく見聞きしたり、一緒に出かけたりします。
ハロウィンもあり子供達も元気いっぱい。
お母さんたちも張り切ってみえます。
11月 | Thanks Giving
第4木曜日(だいたい23日)はThanks Giving(サンクスギビング / 感謝祭)。
家庭でも教会でも何かの集まりでも、七面鳥、スタッフィング(詰め物)、グレービーソースにクランベリソース、サツマイモに温野菜。最後はパンプキンパイ。
七面鳥は重たいし(コストコで冷凍のを買って2日間かけて解凍する)、奥さんが日本人だったりすると、男性陣が張り切って台所に立っていたりします。
12月 | クリスマス
クリスマスの4週前からアドベント(待降節/クリスマスを待つ期間)となり、クリスマスリースを玄関に飾る家が多くなります。
12月第2週くらいでインターナショナルスクールが終わり完全にChristmas Holiday Season となるので、24日のイヴ礼拝を待たずにクリスマスのキャンドルサービスを行う教会もあります。
第3週くらいから徐々に人口が減り始めます。
クリスマスの週末は山手西洋館のイルミネーションイベントやフェリス女学院大学の無料コンサートなどもあり観光客が多く夜でも人通りが多い印象です。
クリスマスを過ぎると年末年始は閑古鳥状態(日本人の方も海外へバカンスに行っているようです)。
全体の印象としては、坂を降りた元町が大々的にきらびやかなクリスマスを演出しているのに比べて、山手町は静かにクリスマスを祝うといった感じです。
更に夕方にはご近所のアメリカ人一家からおすそ分けもいただいて、1週間、スープやチャーハンにして七面鳥を食べたような・・・
慣れて来た頃に、次の国に行ってしまって、また新しい人がくるというのも良くあります。
せっかく仲良くなった人と別れるのはかなり寂しいです。
furukawas.jpのサイトを作ろうと思ったきっかけの一つにもなりました。
実際に暮らしてみて分かった山手町の魅力
明治の時代と変わらない生活というと、
いまだに歴史に閉ざされた場所というイメージもありそうですが、
むしろ山手町は現在進行形で世界に開かれている場所です。
世界に開かれた街「山手町」
ある外国に行けばその国の文化や歴史、習慣やマナーなど学べます。
しかし外国人が日本を訪れた時には日本の事を集中的に学ぼうとするのと同じで、どうしても対象が限定されてしまいますよね。
ところが山手町に住んでいると、自然と多くの国の人と関わるようになります。
それはやはり大きな2つのインターナショナルスクールや明治時代からある3つの教会(インターナショナルチャーチ)の存在が大きいと思います。
例えば日本で最初の外国人学校として誕生したサンモール・インターナショナル・スクール (Saint Mour International School)は現在35か国の生徒が在籍しています。
港の見える丘公園そばの横浜インターナショナルスクール(Yokohama International School) では54か国もの生徒が在籍しています。
ひとつの国で一度にこれだけの国籍の人が集まる場所はそんなに多くありません。
不謹慎かもしれませんが、タイタニック号沈没に絡めてよく言われるジョークに
アメリカ人には「今飛び込めばあなたはヒーローになれる」
イギリス人には「紳士はそうする」
ドイツ人には「規則ですから」
日本人には「みんなそうしていますから」
というのがあります。
山手町で何かを一緒にしようとするとそれぞれのお国柄が良くでます。
ドイツの人やドイツ系アメリカ人の人はやはり時間に正確。
地域のイベントの打ち合わせでも事前に場所・時間・内容をはっきり決めておき、変更があればすぐ連絡が来るし、直前のリマインダーメールも来たりします。
イギリス人も時間やゴミ出しの仕方などきちんと守ります。
ドイツ系の人たちと違うのは、彼らは何かユーモアを言わないと気が済まないようです。
こちらが分からず、後で「あ、あれはユーモアだったのかな?」なんて事もあります。
イタリア人とは一緒に何かをした事がないのですが、やはり男性はラテン系でおしゃれ。
イタリア系アメリカ人と一緒に仕事らしき事をした時は、全てがアバウト。
その場のフォーリングや気分で引き受けたりして、後で場所のダブルブッキングが判明した、直前のキャンセルがあった・・・なんて事もありました。
韓国の人は小さい頃から頑張り屋さん。
小さい子と遊んだ時に「自由に絵を描いてもいいよ」という時間でもひたすらアルファベットの練習。
Aから始まって間違えたらまた最初から・・・を自然と自分に課したりしていました。
留学や本国の経済の成長と共にお仕事でやって来る中国の方はとても礼儀正しかったり、優しかったりするのも印象的です。
カメルーンからいらしたお母さんの民族衣装は色がビビットで煌びやかながらもとても上品で優雅。
アメリカ人はやはりバランス感覚あるかも。
そして日本人の私、やはりはっきり意見を言う事、Noを言う事が苦手なような気がします。
このように山手町は現在でもかなり多国籍な環境にあります。
多国籍だからこそ育まれるwin-winの土壌
いろんなお国柄がでる事は仕方ないこととして、結局は国がどうこうと言う事よりも目の前にいるその人が大事です。
ただ、1つのイベントを共に協力して成功させるには「自分の国の当たり前は、相手の国の当たり前ではない」ことを胸に刻んで、
相手の話を注意深くよく聴き、その上で自分の意見を適切な時に適切な形でしっかりと言うことが必要です。
でないと思わぬすれ違いを生むことになってしまいます。
あとは、気にし過ぎない。
実は、これ、相手が外国人でなくても大事なことですよね?
仕事でも夫婦でも親子でも。
ところが残念ながら日本人はこれが苦手。
明治の開港当時、横浜には現在ほど多くなくてもアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、彼らと共にやってきた中国人など、多くの外国人が訪れ、外国人居留地に住みました。
そして横浜には彼らの文化を知りたい人・商機を狙う日本人も、それこそ日本中から押し寄せ日本の文化や商業をも新しく進化させる事となりました。
お互いが揉まれていくなかで「3日いればハマっ子」と言われるような、相互にお互いを認め合い高め合うwin-winな気質ができていったのだと思われます。
これは自分自身のアイデンティを強く持ちながらも他人を認め受け入れていなければ中々できないことです。
山手町で暮らしているとその気質をとても理解できます。
海外に行かずにこういった事を経験できる場所はそう多くありません。
また、海外へ行くのが簡単になった分、海外に旅行に行って観光するだけ。
アパートを借りて住んでみても現地の日本人通しで固まっているだけ、という場合もあると思います。
勇気を出して参加したり行動をしないと世界の人と関わる事ができないのは山手町でも一緒です。
そして山手町は日本にいながら多くの国の人と知り会い、その文化や習慣を体感する事ができる貴重な場所だと思います。
横浜観光のちょっとした参考になれば幸いです。
また海外に行く前のコミュニケーションの実践場としてもオススメできる場所です!
→日本の中の外国:海外の人とコミュニケーションをとる山手町の意外なオススメ場所